健康科学部生活保健科長 小林智


室内空気と健康
 今年も最も寒い季節がやってきました。この季節は、炬燵(こたつ)に入ってみかんを食べたり、暖かな部屋で冷たいビールなんてたまらないですね。しかし部屋を閉めきりにして換気を忘れてはいませんか。そこで室内空気の質(室内空気質 IAQ:Indoor Air Quality)について考えてみましょう。
 のどが渇けば水のありがたみを知り、ハラが減れば食物の大切さを認識します。空気の場合はそれがなくなれば、10分も経たないうちに空気のありがたさを意識する間もなくこの世ともおさらばせざるを得ないことになってしまいます。それなのに、私たちは空気の大切さを日頃ほとんど意識していません。存在感がない人を「空気のような人」ということがありますが、これなどは空気を冒涜するものでして、本来ならば「一時もいなくては困る大切な人」くらいの意味に使って欲しい言葉です。
 私たちは1日に空気を10〜25立方メートル呼吸しています。幅があるのは年齢や生活状態によって異なるためです。25立方メートルとすると6畳の部屋の体積に相当する量の空気を吸っていることになります。人は約90%を室内で暮らしていますから、それが汚染されては健康に影響が出ないはずがありません。そこで近年よく見聞きする「シックハウス症候群」が登場したわけです。
 北海道の住宅の歴史は寒い冬をいかに快適に過ごすか、その戦いの歴史だったと思います。北海道開拓のために本州からやってきた人たちの苦労は涙ぐましいものだったでしょう。最近の北海道の住宅は気密性能、断熱性能の向上により冬でも暖かく快適に過ごせるようになりました。
 ところで住宅内の死亡事故で最も多いのは冬季の入浴時に起こっていることをご存じですか。「ヒートショック」といって温度の急激な変化に耐えられず高齢者の突然死が発生しています。わが国では年間1万4千人ほどと推定され、交通事故死を上回っています。従って、冬期間室内全体を暖めることは大切であり、そのためには住宅の断熱性能、気密性能を高くする必要があります。空気質の悪化が言われ始めた頃、高気密高断熱住宅は悪であり、昔ながらのすかすかの家がいいのだと言われたことがありましたが、「ヒートショック」のことを考えたらそんなことは言っていられません。住宅の性能に合わせた換気設備が必要なのです。
 そして高気密高断熱住宅には機械換気が必要になります。この辺の事情は本州でも同様だと思います。冬暖かく、夏涼しく快適に過ごせるように、また丈夫で安価に住宅が提供できるようにいろいろな建材や工法が開発されました。ここで化学物質、化学製品の果たした役割は大きなものでした。しかし、誰も自分たちが一時も吸わないではいられない空気の質には慮りませんでした。
 多くの人に健康影響が出て、はじめてこれは大変だと空気を調べてみるといろいろな化学物質が混ざっていたのです。私たちは空気の組成は1/5が酸素で4/5が窒素、それにアルゴンや二酸化炭素などであることを学校で習いました。しかし、室内空気にはこれらだけでなく、今ではすっかりおなじみになったホルムアルデヒド、トルエン、キシレン、エチルベンゼン、スチレンといった多くの化学物質が含まれていたのです。これらの化学物質がシックハウス症候群の原因の一つと考えられています。
 シックハウス症候群は中枢神経系・自律神経系の機能障害に関連した症状が多くみられ、具体的には1)頭痛、2)筋肉痛・関節痛、3)疲労・倦怠感、4)鼻汁、鼻出血、呼吸困難、喘息様発作、5)集中力低下・記憶力低下・思考力低下、6)抑うつ、興奮、睡眠障害、7)めまい、吐き気、8)便通異常、皮膚の痒み、月経周期異常、月経前緊張症などきわめて多彩です。

シックハウス対策
 室内空気は個人のレベルの管理の範疇に入ると考えられたせいか長い間その空気質については何ら規制がありませんでした。しかし、シックハウス、シックスクールなど室内空気質が原因と考えられる健康問題が発生し、最近、国で実態調査、指針値の作成、治療施設の建設、住宅性能表示制度、建築基準法への反映、紛争処理支援センターの充実、規格(JIS、JAS)の整備、化学物質の放散量の少ない建材の開発、学校環境衛生の基準の改正などが行われました。
 各自治体でも対策が立てられるようになりました。現在北海道では道立の26保健所すべてと政令市(札幌、旭川、函館、小樽)の保健所には相談窓口が設けられ、室内空気の検査も依頼できるようになっています。
 私たちも平成7年度からこの問題に取り組んでおり、分析法の開発、実態調査、低減化の対策法の検討、家具の影響、建材からの化学物質放散量の測定法の検討などを行い、室内空気質の改善に役立てています。
 これから家を建てようと考えている人は次の点に注意してください。

 1)設計時によく検討すること。あなた任せにせず、家を建てる前に主体的に十分に検討してください。「後悔先に立たず」です。
 2)放散量の少ない建材を使用すること。合板やパーティクルボードについてはJASのFcoやJISのEolに相当するものを選択すればホルムアルデヒドの放散量は少ないはずです。また、塗料、接着剤、壁紙については放散量の少ない化学物質対策品を選んでください。室内空気中濃度の化学物質に対する感受性は個人により違います。感受性が高い人はご自分で選んだ建材が大丈夫か確認してください。
 3)換気・通気に配慮すること。住宅の性能に見合った換気設備をつけて使用することが大切です。換気は室内空気中の化学物質を減少させる手段として非常に有効です。私たちの実験では気密性能の高い住宅で換気装置を止め、換気口を閉めると2日後にはトルエン濃度が約30倍に、ホルムアルデヒド濃度が約2倍に増加した例がありました。気密性能の高い住宅では機械換気は必須のものです。
 4)住宅の完成から入居までの期間は余裕を持ち、換気を十分に行うこと。化学物質の少ない材料を選んでも、住宅は極めて多くの部材からできているので、予想外のところに化学物質が使われていることが多々あります。しかし、十分に注意していればその総量は多くはありません。換気をよくしていれば大まかに言うと最初の内は一週間で半分ずつ減っていきますので最低2週間、望むらくは1カ月間待ってください。これくらい置けばまず心配ない濃度レベルになります。

 室内空気中の化学物質の種類と濃度は個々の住宅の特徴と居住者のライフスタイルの違いで異なることが予想されます。寒冷な北海道と亜熱帯の沖縄では住環境も大分違いますし、最近では指針値のない物質を使う傾向がありますので、地域ごとに室内空気を精査し、汚染物質を同定しリストアップすることが必要になります。
 また、室内空気中の化学物質の長期間にわたる曝露の影響を調べることも重要です。特に環境ホルモン作用の有無に関心が持たれます。ごく微量の化学物質に対しても健康影響が現れる「化学物質過敏症」については客観的な診断法がなく、治療法も模索している段階です。
 北海道立衛生研究所では平成15年からこれらの問題に対して旭川医大、北大薬学部と連携して鋭意取り組んでいくことにしています。
 私たちの健康維持に欠かすことのできない室内空気質にもっと関心をもっていただき、きれいな空気、おいしい空気に感謝したいものです。

小林 智(こばやし さとし)
1956年生まれ。栃木県出身。1984年筑波大学大学院農学研究科修了。農学博士。同年北海道立衛生研究所勤務。生活科学部放射能科、同生活環境科を経て2002年から現職。
 

この記事は「しゃりばり」No.253(2003年3月)に掲載されたものです。