微生物部主任研究員 奥井登代

 厳しい冷え込みの北国の夜、石狩鍋もいいが、カキ鍋も最高!カキといえばフランス料理、中華料理等、さまざまな料理の食材として、もてはやされ、消費量も増えている。全国各地はもちろん外国産のカキをそろえるカキ専門のレストランもあるとか。しかし、カキでひどい目にあい、カキは苦手という方も決して少なくないはず。カキが食中毒の原因食品になることは知られていたが、その原因微生物の正体が分かったのはごく最近のことだ。

正体が見えたウイルス
 1968年に起こったアメリカ、ノーウオークの小学校で集団発生した急性胃腸炎の原因調査において、約30ナノメートル(nm)と非常に小さく、その表面にコップ状の構造のあるウイルスが電子顕微鏡で観察され、これが原因であることが数年を経た1972年にようやく突き止められた。このウイルスはその形態から小型球形ウイルス(Small Round Structured Virus, SRSV)と呼ばれた。しかし、このウイルスは培養細胞や器官培養による分離が不可能で、ヒトの腸管でしか増殖しない。そのため、このウイルスに関する研究は遅れていたが、最近の遺伝子解析技術の急速な進展により、その遺伝子の塩基配列が解明され、RT-PCR法という検査法により検出が可能になった。そしてカキをはじめ食品を媒介とするウイルス性胃腸炎の主役であることがわかってきたのである。
 2003年、国際的にこの食中毒の原因となるウイルスの名前がノロウイルスと決められたことから食品衛生法が改正され、「SRSV」は「ノロウイルス」と名称が変わったが、ここでは今までの呼び方である「SRSV」を使うことにする。
 SRSVはヒトの口に入ってから発症するまで24〜48時間かかる。吐き気、嘔吐に続いて、激しい下痢、腹痛が現れる。嘔吐あるいは下痢のみの場合もあり、風邪の症状も見られることから、おなかの風邪と診断されることもある。だが発熱の程度は低い。症状の持続時間は数時問から数日で、多くは治療しなくても1〜2日間で回復するので心配はいらないが、幼児や高年齢、病弱者は脱水症状に対して輸液などの対症的治療が必要な場合もある。
 SRSVによる食中毒の原因食品はカキに限らず、ヒトから食品を介して、あるいはヒトからヒトヘの直接的な感染によるものも多いと考えられる。


カキに行き着く理由
 ヒトの口から入ったSRSVはヒトの小腸で増え、糞便中に排泄され、下水中に放出されるが、この小さなウイルスは下水の浄化処理をくぐり抜け、河川水に流れ込む。そして海にたどり着き、プランクトンに付着して海水中に存在する。カキなどの二枚貝は大量の海水(1時間に20l)を入水管から取り込み、えらを通過させ、出水管から排水しているが、そのとき、SRSVはプランクトンと一緒にえらから口に運ばれ、中腸腺で捕捉濃縮される。しかし、カキの中でSRSVは増殖しない。カキ以外の二枚貝の中腸腺にも存在するが、加熱して食べることが多いので、熱でウイルスは不活化され、中毒を起こすことは少ない。これに対してカキは生、あるいは十分加熱しないで食べることが多い。カキの旬は秋から冬。しかも冬はカキの排泄運動が不活発になり、ウイルスの除去効率が減退し、中腸線でのウイルスの濃縮率も高まると考えられる。
 さらにカキからの直接的な感染ではなく、カキの調理中に他の食品がSRSVに汚染されたり、カキ調理者やSRSV感染者が十分手洗いをせず、汚染された手で食品を扱ったりして食中毒を引き起こすこともある。SRSVは100個もあれば発症するのである。ちなみに発症初期の糞便中には多いもので1グラムあたり10億個ものSRSVが存在する。つまり糞便1千分の1グラムもあれば感染することになる。
 わずかなウイルス量で発症するSRSVはヒトからヒトにも感染する。保育園や福祉施設などではSRSVに感染したヒトや、SRSV感染した入所者の糞便や吐物処理した職員などの汚染された手から他の入所者に伝播し、集団感染することもある。感染者の糞便、吐物中に排泄されたSRSVは下水に流され、再び海に向かうのである。このようにSRSVは環境ウイルスともいえる。だからカキだけを責めるわけにはいかない。
 カキだけが悪いんじゃないといっても、やはりカキの汚染を最小限にくい止めることはたいへん大事なこと。北海道のカキ生産漁協では自主検査を行い、SRSVが検出されたカキは生食用として出さないなどカキの安全出荷に努力している。サロマ湖では保健所、水産試験所、漁協、衛生研究所(微生物部腸管系ウイルス科)が協力しあい、下水、海水、カキの検査を定期的に行い、SRSVの汚染を調査し、汚染経路を解明しようとしている。また、水産林務部では本年度からカキ産地衛生管理推進事業をスタートさせた。

予防と地域貢献
 では私たち消費者はどのようにしたらSRSVによる食中毒を予防できるのか?一つはカキの調理の仕方。SRSVは熱に弱いので、十分に加熱調理することだ。SRSVが不活性化したかどうかは人体実験でしか確かめられないので、確実なところはわからないが、芯温70度、3分加熱処理で不活化するといわれている。しかし、カキは加熱しすぎると硬くなり、うまみが減少するので、そこが難しいところである。
 次は調理者の心得。下痢気味のヒトは調理作業に従事しないのが鉄則。ところがこのウイルスのやっかいなところは口からウイルスが入っても発症しない人(不顕性感染)がいることである。本人は発症していないが、糞便からはウイルスが排出されている。だから調理に携わるヒトは手洗いをしっかりすること。石鹸を使用し、流水で10秒以上洗う。アルコールや紫外線殺菌では不十分なのである。手洗いの後はぺーパータオルの使用が望ましい。
 家庭や施設ではヒトからヒトヘの二次感染が起こりやすいのもこのウイルスの特徴。便や吐物の処理には十分気を付け、付着した雑巾などは塩素系漂白剤で付けおきし、汚染した床なども塩素系漂自剤を含ませた布で覆い、しばらく放置して消毒する。処理後の十分な手洗いとうがいも忘れないこと。
 これらの注意を厳守すればSRSV集団発生の患者数は大幅に減少し、下水中へのSRSVの排出が減ると考えられる。生産者の努力と私たち消費者の努力で「北海道産のカキはおいしくて絶対安全」と信頼を得て全国からの需要が増えると、北海道の経済活性化に大いに貢献できるのではないだろうか。

奥井登代(おくいとよ)
1947年生まれ。大阪府出身。1972年北海道大学大学院獣医学研究科修士課程修了。深川保健所を経て、1973年から北海道立衛生研究所において、環境放射能調査および放射線の生体影響に関する研究に従事。2002年腸管系ウイルス科長。2003年6月から現職。
 
 

この記事は「しゃりばり」No.263(2004年1月)に掲載されたものです。