浮遊(飛散)アスベスト
北海道立衛生研究所企画総務部企画情報室長 神和夫

 アスベストによる健康被害についての昨年6月30日付けの新聞報道は衝撃的でした。欧米ではアスベスト曝露による健康被害は広く知られていましたが、わが国では被害の実態がわかりにくかったのです。1987年に公共施設等に使用されたアスベストによる健康被害が全国レベルで問題にされました。しかしながらそれ以降、わが国では大々的に取り上げられることはありませんでした。しかし、一企業の従業員だけで78名もがアスベスト関連の疾患で死亡したという新聞報道は、アスベストによる健康被害の広がりを推測させるのに余りあることでした。
 これ以降、堰を切ったようにアスベスト関連の報道がなされるようになりましたが、その主な内容は、事業所ごとの肺がん・中皮腫患者の発生状況調査結果、アスベスト輸入量(使用量) との関係、アスベスト製品製造事業所及びアスベスト製品が使用された建築物・日用品等のリストアップ、対策のための組織の立ち上げ、患者の救済措置などで、いずれも国のレベルで取り組まれました。しかし、まだようやく問題の輪郭が見えてきた段階のように思われます。それは現時点でのいかなる対策にもかかわらず、過去の曝露によって今後数十年に亘って患者が発生し続けると予想され、今後とも大きな社会問題であると考えられること、そして、その規模を予測するには不確定要素が大きいことによります。

アスベストの特性
 アスベストは「石綿」とも呼ばれるように、岩石から採取された綿状の物質で、工業的に利用されてきたのは、蛇紋石族に属するクリソタイル (白石綿)及び角閃石族に属するクロシドライト (青石綿) とアモサイト (茶石綿) の3種類です。化学組成の違いによる色調の違いから括弧内のような慣用名が付けられています。わが国では国内での生産量が少なく、カナダなどから輸入してきました。北海道では富良野市の山辺地区に鉱山がありました。アスベストには次のような特性があります。@繊維が細く柔軟性があり(通常の解綿操作で得られる太さ (細さ) は1〜2μm (μm=マイクロメートル、1μm=0.001mm)。クリソタイルは特に細く0.02〜0.03μmの繊維状)、A耐熱性に優れ(500度まで安定)、Bピアノ線以上の引張り強さがあり、C耐薬品性に優れ、D熱絶縁性にも優れ、E吸湿、吸水性が少ない(DEから保温剤に達する)。要約すると、抗張力と柔軟性をもつほか、高温に耐え、化学薬品にも強く、断熱性、防音性、電気絶縁性に優れているということになります。こうした特性からアスベストは“奇跡の鉱物”とまで言われたのでした。しかし、健康被害が誰の目にも明らかになった現在では、「アスベストは管理して使えば安全である(管理して使用できる)」 という考えはわが国でも受け入れられなくなりました。

アスベスト曝露に関連のある疾患
 空気中に浮遊しているアスベスト繊維は細く、長さも0.01mm以下がほとんどですから肉眼では見えません。仮にアスベスト繊維が空気中に浮遊していても、気づくことはありませんし、吸入している実感もありません。これがやっかいなのです。
 アスベストに関連した疾患は石綿肺、肺がん及び悪性中皮腫などです。肺がん・中皮腫は曝露後15〜20年経過してから発症します。石綿肺はアスベストの事業所などで大量曝露があった場合に発症します。悪性中皮腫は肺を取り囲む胸膜、肝臓や胃などの臓器を囲む腹膜、心臓を覆う心膜等にできる悪性の腫瘍でアスベスト曝露に特徴的な疾患です。クロシドライトの危険性が最も高いとされています。また、アスベストによる肺がんは喫煙によって発症率が10〜50倍増加するとされています。アスベストによるこれらの疾患の多くはアスベスト製品の製造従事者や運輸関係の従事者など「職業曝露」で顕著に見られますが、作業従事者の家族、工場周辺の住民、劣化した吹き付けアスベストが身近にあった人の発症は「環境曝露」によるものです。アスベスト工場付近の中皮腫患者の発生が、工場に近ければ近いほど高い頻度でみられるという報告は環境曝露の影響の典型例です。しかし、一般環境でのアスベストに由来する疾患の発生についてはよく分かっていません。

アスベストから身を守るために
 厚生労働省、文部科学省及び総務省が全国調査を実施した結果、アスベストの除去や飛散防止措置がとられていない自治体関連施設が2005年11月時点で6617カ所あることが分かりましたが、公共施設以外については実態調査がまだ十分ではないようです。
 しかし、空気中に飛散(浮遊) したアスベストを吸入しなければ健康被害はまず起こりません。ですから、そこにアスベストを含んだ製品があるからといってあわてる必要はありません。アスベストが飛散する恐れがあるかどうかを見極めることが重要です。吹き付けアスベストは飛散の危険性がありますので、「近づかない、触らない」が自衛策です。そして、確認のための検査をした上で専門の業者に依頼して除去するなどの対策をとるとよいでしょう。保健所には相談窓口がありますので相談してみてはいかがでしょう。アスベストで起こる病気の前ぶれは胸痛・息切れなどで、悪化するまで無症状の人が多いようです。健康被害が心配な人はアスベスト外来のある病院で受診できます。道内には一次検診及び二次検診が出来る医療機関がそれぞれ299箇所及び87箇所あります(道庁や各保健所のホームページに掲載されています)。

空気中に浮遊するアスベストの測定法と基準
 浮遊アスベストの規制値は工場の敷地境界で空気1リットル中に10本(10f/L)と定められていますが、リスクを1×10-5程度(生涯その空気を吸い続けた場合に10万人に1人ががんを発症する) に抑えようとすると、空気1リットル当たりの繊維数は1本程度になるのではないかと推察されています(0.1本とする研究者もいます)。空気中に浮遊しているアスベスト濃度は非常に低いので、空気をポンプで吸引してフィルター上に捕集し、フィルターを特殊処理してから顕微鏡下で計数します。現在、位相差顕微鏡を利用した分散染色分析法が一般に用いられています。アスベスト繊維は細く柔軟であるため、浮遊している形状はさまざまです。レーザー光を利用すれば、比較的濃厚な汚染が予想される現場で瞬時に定量することが可能になると期待されますが、装置の実用化には数年かかるとみられています。

室内空気質問題とナノ粒子の安全性
 室内空気質問題への取り組みとして、北海道立衛生研究所ではシックハウス症候群に関連する化学物質対策などに取り組んできました。シックハウス症候群の場合の不定愁訴などは比較的早く現れますが、化学物質への曝露がなくなればやがて症状は回復に向かいます。しかし、アスベストが肺に取り込まれると排出されずに蓄積していく一方です。そして特に症状がないまま長い年月が経過したのち極めて重篤な症状が現れるので、アスベストによる疾患は慢性疾患の最悪のものと言えます。関与している物質は単純ですが、問題の根は極めて深く、緊急に対処すべき課題と息長く取り組むべき課題があり、ともに目を離すことはできません。当所ではさまざまな情報提供を行っています。
 最近、カーボンナノチューブなどナノテクノロジーが脚光をあびています。アスベストの微小繊維もナノ粒子とみなすことができますが、アスベスト問題はナノ粒子のような極微小物質の取り扱いや、生体に取り込まれたときの安全性の検討が極めて重要であると警告しているように思われます。

神 和夫(じん かずお)氏
希少猛禽類など渡り鳥の鉛汚染に関する研究、室内空気質に関する研究、産業廃棄物の有害物質の分析や農薬の環境動態に関する研究、複合的スペシエーション手法によるヒ素の環境動態把握に関する研究などに取り組んできた。理学博士。平成17年4月より現職。
 
 

この記事は「しゃりばり」No.287(2006年1月)に掲載されたものです。