新型インフルエンザウイルスの出現に備えましょう
北海道立衛生研究所感染症センター微生物部ウイルス科研究職員 伊木繁雄

インフルエンザウイルス(直径100nm)
 毎年冬になるとインフルエンザが流行します。「去年罹っているから今年は大丈夫」と思っていませんか。インフルエンザの原因となるインフルエンザウイルスは変異し易い性質を持っています。一度免疫を獲得したとしても、変異したウイルスには防御効果が薄れてしまうのです。インフルエンザウイルスは、少しずつ変異しながら免疫システムをかいくぐり、感染を繰り返します。しかし、この変異はいわゆる「小変異(連続変異)」と呼ばれ、これにより誕生したウイルスを新型インフルエンザウイルスとは言いません。新型インフルエンザウイルスは、これとは全く異なる仕組みで出現するウイルスなのです。
(註・写真のウイルスは直径100ナノメートル。1nmは1mm(ミリメートル)の100万分の1)


新型インフルエンザウイルスとは?
 インフルエンザウイルスは、構成するタンパク質の種類によりA型、B型、C型に分けられます。このうち新型インフルエンザウイルスはA型ウイルスのみで誕生します。これは、A型ウイルスには多くの亜型が存在するためです。A型ウイルスの表面には、HA(赤血球凝集素)およびNA(ノイラミニダーゼ)という糖タンパク質が突き出ており、16種類のHAタンパク(H1〜H16)と9種類のNAタンパク(N1〜N9)の組み合わせにより亜型が決定されます。例えば、よく耳にするAソ連型はH1N1型、A香港型はH3N2型となります。また1957年に出現し、11年間流行したAアジア型はH2N2型です。通常、人間に感染するヒト型ウイルスはこの3種類のみです。これに対し、カモを中心とした水鳥に感染するトリ型ウイルスには多くの亜型が存在しますが、これらのウイルスが人間に感染することはほとんどありません。
 しかし、このような鳥由来のウイルスが何らかの原因で人間に感染し易い性質を獲得するなどして、これまで存在しなかった亜型のヒト型ウイルスが誕生する可能性があります。こうして起こった変異を「大変異(不連続変異)」といい、誕生したウイルスを「新型インフルエンザウイルス」と言うのです。人間はこの新しいウイルスに対する免疫を持たないため、新型インフルエンザウイルスが誕生すると世界規模での大流行が起こり、社会機能が大打撃を受ける可能性が危惧されています。

タイプ俗称
1918H1N1スペイン風邪
1957H2N2アジア風邪
1968H3N2香港風邪
過去に出現した新型インフルエンザウイルス


新型インフルエンザウイルスが誕生するには
 それでは、なぜ動物由来のウイルスが人間の世界に入ってくるのでしょうか?その可能性として、次の2ルートが指摘されています。

〇可能性1 [カモ→アヒル→ブタ→人間]ルート
 インフルエンザウイルスはカモ(特に幼鳥)の腸管に感染し、糞便中に排出されます。感染したカモが営巣する湖沼中にはインフルエンザウイルスが多く存在し、湖沼の水を介してカモの間で感染が繰り返されます。このウイルスはカモにとって無害で、またカモから直接人間に感染したという報告もありません。ところが、この湖沼の近くの農場でアヒルとブタが飼われていると、アヒルを介してブタへと伝搬することがあります。ブタは、トリ型ウイルスとヒト型ウイルスのどちらにも感染するため、両方のウイルスに同時に感染する可能性もあります。その結果、ブタの体内では、それぞれのウイルスによる遺伝子の再集合(交雑)が起こり、トリ型ウイルスとヒト型ウイルスが混ざった新たなウイルスが誕生することがあります。これが人間に対して感染性を備えていた場合、新型インフルエンザウイルスとなります。

 上述したH1N1型、H3N2型及びH2N2型のウイルスは、それぞれ「スペイン風邪」「香港風邪」及び「アジア風邪」としてインフルエンザの世界的大流行を引き起こしたことで有名ですが、いずれもこの経路により新型インフルエンザウイルスとなって人間の世界に入ってきたことが示唆されています。

〇可能性2 [カモ→アヒル→ニワトリ→人間]ルート
 新型インフルエンザウイルスの誕生が懸念されるもう一つの可能性は、トリ型ウイルスがブタを介さず鳥から直接人間に感染した後、ヒト型ウイルスに変異する場合です。近年、主に東南アジアから中東にかけて鳥から人間に感染した事例が確認されていますが、現段階では新型インフルエンザウイルスの誕生には至っていません。それは、ウイルス自体がまだトリ型ウイルスのままだからです。人間が鳥から直接感染するのは、感染している鳥と濃厚接触(直接触れるなど)があった場合に限られると考えられています。
 しかし、その後人間同士で感染を繰り返すと、ウイルスはヒト型ウイルスへと変異する可能性が出てきます。この変異が起こった時、新型インフルエンザウイルスの誕生となるのです。

新型インフルエンザウイルスの病原性
 では、新型インフルエンザウイルスの病原性はどれほどのものなのでしょうか?
 実は、出現してみなければわからないのが現状です。例えば、近年話題に上ることが多い「高病原性鳥インフルエンザ」の高病原性とは、鳥に対する高い病原性を持つ(10日以内に75%以上の致死率を示す場合に用いる)という意味で、人間に対する病原性を示すものではありません。新聞等で報道されたH5N1型ウイルスも、現在のところ人間に感染した場合は重篤な呼吸器症状に加え、多臓器不全などにより50%以上の致死率を示していますが、これはあくまで鳥のインフルエンザウイルスとしての性質です。これが新型インフルエンザウイルスへと変異した場合、どのような症状を引き起こすようになるのかについては不明なのです。しかし、もしこのような重篤な症状を引き起こす性質を保持したまま新型インフルエンザウイルスとなったら、人類がかつて経験したことがないほど深刻なインフルエンザの大流行が起こるとされています。なぜなら、これまで人類が経験してきた新型インフルエンザウイルスは、いずれも高病原性ではないからです。

 H5N1型の高病原性鳥インフルエンザウイルスによる新型インフルエンザウイルス出現が現在最も警戒されているのは確かですが、実は新型インフルエンザウイルス出現の可能性はどの亜型にも存在します。このため、高病原性のウイルスのみを警戒していると、他の亜型による新型インフルエンザウイルスへの対応が遅れることとなります。新型インフルエンザウイルスがいつどのような形で出現するのかについては、全くわからないのです。

新型インフルエンザウイルスへの対策は?
 それでは、新型インフルエンザウイルスの出現を防ぐにはどうしたらよいのでしょうか?
 残念ながら発生を防ぐことは困難と言われています。インフルエンザウイルスは通常カモにとって無害であり、またアヒルやブタに感染した場合でも、風邪程度の症状で終わることもあれば、特にアヒルでは殆ど症状が出ないこともあります。このためウイルスの動向を全て把握することは難しいのです。
 したがって、新型インフルエンザウイルスの出現をいち早く察知し、流行を最小限に抑える対策を取ることが重要となります。当所では、国立感染症研究所との連携により監視を続けるとともに、患者発生時の迅速な対応のため、道内の各保健所及び医療機関等との連絡体制を敷いております。また新型インフルエンザウイルスの発生が確認された場合は、速やかに情報提供される体制が整っています。国内外の動きとしては、新型インフルエンザウイルスが出現した場合に備えワクチンや治療薬の開発が盛んに行われています。これらの対策の連携により、新型インフルエンザウイルス感染に対する予防や治療及び流行抑制などがスムーズに行われるものと期待されます。

 ただし、最も重要なのは日頃からの備えです。事が起これば感染防止のため外出を控えることとなるため、食料品や日用品が手に入りにくくなることは明らかです。大流行が起こってから慌てて買い物に出かけるなどの不用意な行動に出ることは大変危険ですし、感染症の拡大にも繋がります。したがって、日頃から非常食やマスク、消毒薬等を備えておき、事が起こった際には冷静に対処することが肝要です。これは、災害時に対する備えとかなり共通しています。つまり、物質的にも精神的にも常に非常事態を意識して準備しておくことが、最も優れた対策なのです。

伊木繁雄(いき しげお)
北海道立衛生研究所感染症センター微生物部ウイルス科研究職員。
平成8年に北海道大学大学院農学研究科修士課程農芸化学専攻を修了後、北海道立衛生研究所食品科学部食品微生物科に研究職員として採用される。疫学部血清科を経て平成10年より現科に移り、インフルエンザを中心としたウイルス感染症の調査・研究に携る。

この記事は、2007年11月5日に「しゃりばり」ウェブページに掲載されたものです。