タンパク質の姿形を知る
北海道立衛生研究所感染症センター生物科学部遺伝子工学科 孝口 裕一

世の中全てのモノは原子から構成される
 子供の頃、TVアニメ「鉄腕アトム」を見ていると、(とある人物が)「この世に存在する全てのモノは原子からできている、例えばこのコップも、机も、原 子という粒子が集まって構成されている」と説明する場面を見たことがありました。幼い私は、そのことに対して、「それなら人間も動物も地球も全てが原子で できているのか???」と、驚きを超え恐怖さえ感じたことを今でもはっきりと覚えています。現在に至っては、原子が集まり、分子を作り、さらにそれらが多 種多様な形に集まって(結合して)あらゆる物質を構成していることは当然のこととして理解しています。それでもなお、生命をも、これらの原子や分子という 粒子が構成し、それら分子から成る物質それぞれが、相互作用しあいながら生命活動が営まれているかと思うと、今もって不思議であると感じざるを得ません。

タンパク質は生命をつかさどる
 タンパク質という物質があります。一般にタンパク質といえば、肉や魚に含まれるヘルシーな栄養素といったところでしょうか。この認識は間違いではありま せん。先ほどの原子と分子という観点からいえば肉(筋肉)はアクチンとミオシンという名前のタンパク質分子が長い鎖のようにつながり、それが整然と束ねら れ、筋繊維を構成した物質(組織)と言い換えることができるでしょう。人間がタンパク質を食べると胃や腸の中に含まれる消化液で分解され、アミノ酸という 物質にまで粉々にされます。この物質が腸管から吸収され、栄養となってタンパク質を再構築し、筋肉や臓器、髪の毛や爪に至るまで、私たちの体のとても多く の部分を構成する成分となるのです。
 私たちの体の中にはいったいどれくらいの種類のタンパク質が存在しているのでしょうか。昨今、ヒト ゲノム計画という世界的な生命科学プロジェクトの成果によって、人の遺伝子の数はおよそ2万2千個程度であることが明らかになりました。遺伝子はタンパク 質の設計図ですが、一つの遺伝子から作られるタンパク質は一種類ではない場合もあり、現在人の体に存在するタンパク質の種類は、おそらく10万種類にもお よぶといわれています。このような見方をすると、タンパク質とは、肉や魚に含まれる栄養素という見方にとどまらず、人を含めた全ての生命を維持・運営する 役割を担っている生命体にとって真に重要な物質と考えることができます。我々研究者はこのことを理解し、タンパク質の持つ幅広く、奥深い興味に誘われ、魅 了され続けているのです。

タンパク質研究の歴史
 19世紀中頃、タンパク質は炭素、水素、窒素、酸素からなる物質であるということしか分かっていませんでした。その後、20世紀のはじめにドイツの有機 化学者であるエミル・フィッシャーや、1954年にノーベル化学賞を受賞したライナス・ポーリングによって、タンパク質がアミノ酸という物質が鎖のように つながり、らせん状の姿形をしていることが分かってきました。しかし、その全貌を理解するにはそれからの化学の発展を待たなければなりませんでした。
  タンパク質分子の大きさとはどのくらいのなのでしょうか。原子の大きさは、例えば水素原子を100万個横に並べると大体髪の毛一本位の幅になるといわれて います。平均的な大きさのタンパク質分子の場合ですと、大体10万個をならべた程度となります。このようにとても小さな世界ですから、タンパク質分子その ものの姿形を見てみたくても、顕微鏡でも見ることができません。さらに、タンパク質を研究しようとしても、材料(色々な生物から採取した組織など)から不 純物を取り除き、目的の純粋なタンパク質を得る作業が難しいことが多く、1970年代までは、タンパク質の研究は目的のタンパク質以外の不純物を取り除く という作業に多くの時間がさかれてきました。この時代、タンパク質の姿形を原子レベルで理解することは、ほぼ奇跡的な例として報告があるにすぎませんでし た。
 時代は流れ、やがて「遺伝子組み換え」という技術が発達してくると、タンパク質の研究は一変することになりました。鍵と鍵穴という 表現が分かりやすいでしょうか、遺伝子組み換えによって、鍵となる部分をつけたタンパク質の設計図(遺伝子)を合成し、その遺伝子を大腸菌や酵母などに組 み込むことによって、それらの微生物に目的のタンパク質を作ってもらうことができるようになったからです。このようにして作ったタンパク質の鍵は鍵穴を持 つ樹脂に固定しておくことができます。その間に他の不純物を洗い流せば、目的のタンパク質はいとも簡単に、しかも大量につくることができるわけです。
  タンパク質の姿形を肉眼で見るためには、X線結晶解析という分析手法が一般的に用いられます。この分析法には、「純粋なタンパク質を大量に得る」というこ とが必要不可欠なのです。この作業が簡単に行えるようになってきた今、タンパク質の研究はその姿形を原子レベルで見て研究を進めるという時代に入りまし た。一昨年まで文部科学省を中心として行われた「タンパク3000プロジェクト」と呼ばれる研究の成果により数千種類のタンパク質の姿形がコンピューター 上に再現される分子モデルのグラフィックとして肉眼で見られるようになりましたし、世界各国から寄せられたあらゆる生物由来のタンパク質の姿形のデータを 集めたデータベース(Protein Data Bank: PDB)には、2010年2月現在ですでに60,300種類以上の登録がなされています(昨年2月からの一年間で約4,000種が新たに追加されていま す)。タンパク質の姿形を直接見るという長年の研究者の夢が叶えられる時代に入ったのです。

食中毒を引き起こすボツリヌス菌の産生する猛毒の姿形
 さて、それではなぜ我々はそんなにタンパク質の姿形を見たかったのでしょうか。それは、単なる興味ではなく、その働きを理解するための最も直接的な情報 であるからなのです。北海道立衛生研究所では長い間ボツリヌス毒素の研究を行っています。ボツリヌス菌という嫌気性菌は土壌や沼の泥の中などに芽胞として 存在し、かつてしっかりと洗浄していない魚を使って作ってしまった自家製のいずしや、加熱殺菌の不十分な真空パック食品などを食べた人や、毒素を含む餌な どを食べた動物達の多くの命を奪ってきた恐ろしい微生物であります。この菌が増殖する際に作り出す毒素は、地上で最も強力な毒性を示すとされ、その毒性は 化学兵器サリンや青酸カリをもはるかに上回ります。このような菌が作り出す地上最強の毒力を示すタンパク質はどんな姿形をしているのか? その答えが、当 所や大学との共同研究により判明しつつあります。図のように赤色で示された毒素本体に、3本の手とも足ともとれるような水色と青で示された部分を確認する ことができます。研究では、この3本の足で、ヒトや動物の腸管細胞にとりつくことが分かっています。おそらくは、その足でがっちりと足場を固め、腸壁にと りついた後、毒素本体を体内に送り込んでいるのだろうと我々は考えています。このようにタンパク質の分子モデルを眺めていると、それぞれの役割を効率よく 果たしていくよう、精巧に作られていることが容易に理解できるのです。

<図>ボツリヌスD型菌の産生する毒素複合体の立体構造

おわりに
 タンパク質の姿形がはっきりと目に見える時代に入った現在、これらの情報を基に医薬品を開発するという研究が盛んに行われるようになりました。例えばイ ンフルエンザ治療薬として知られている「タミフル」はウイルス表面に存在する、人への感染の際にとても重要な働きをするノイラミニダーゼという酵素タンパ ク質の姿形を基に設計されたという経緯があります。このノイラミニダーゼは、ウイルスが感染した細胞からとびだし、増殖を繰り返していく際に非常に重要な 働きをします。これまでの研究でノイラミニダーゼがはたらく際に必要な“くぼみ”があることがわかり、それがどのような形をしているかが詳細に見えてきま した。そのくぼみにぴったりとはまりこんで、そのはたらきを抑える物質、それが「タミフル」なのです。
 ガンや成人病など、治療の困難な 病気はいまだ多く存在しますし、SARS、HIVそして新型インフルエンザなど、新しいウイルスの出現も後を絶ちません。しかし、これら多くの病気や感染 症にも必ずといっていい程タンパク質が関係してきます。タンパク質の姿形を知る構造生物学研究そしてそれに伴う創薬技術は今後、人類の救世主となるのかも しれません。

孝口 裕一:こうぐち・ひろかず。東京都出身。2002年東京農業大学大学院生物産業学研究科修了(生物産業学博士)。同年4月より米国Thomas Jefferson 大学 医学部にポスドク研究員として留学。2003年4月より北海道立衛生研究所に勤務。現在、遺伝子組換え食品検査、アレルギー食品検査業務に従事するとともに、エキノコックス症ワクチン開発のための研究に取り組んでいる。
 
 

この記事は、2010年3月18日に「しゃりばり」ウェブページに掲載されたものです。