魚介類の水銀と健康影響
北海道立衛生研究所健康科学部主任研究員 高橋 哲夫

*編集部注:高橋氏の「高」は正式には「はしごだか」ですが、文字化けの可能性があり使っていません。

 日本人の食生活において魚は切っ ても切り離せない存在です。特にマグロは刺身やお寿司などとして日本人が最も好む魚の一つです。日本は、世界で獲れるマグロ全体の実に3分の1を消費する 世界一のマグロ消費大国です。しかし、世界的に水産資源の枯渇が危惧されるなかで、マグロやクジラの大幅な漁獲規制の動きが報じられています。一方、食の 安全、安心の観点からも気になることがあります。その一つがマグロやカジキなどの大型魚類やクジラ類の水銀汚染の問題です。水銀汚染というと水俣病のよう な公害問題を思い浮かべますが、この場合は、もともと地球上に存在している水銀が魚に濃縮されるという、いわば自然現象に由来するという側面があります。。

自然界の水銀
 水銀は、地球上に比較的多く存在する元素です。環境中の水銀の主要な発生源は火山の噴火などによる地殻からの噴出ガスや海水面からの蒸発によるものです が、石炭の燃焼、ゴミ焼却や工場からの排出などの人間活動も環境中の水銀量を増加させています。自然界の水銀の大部分は無機水銀としてその化学形態を変え ながら環境中を循環しており、これらはやがて降雨等により河川や海に流出し、水中の微生物の働きで神経毒性をもつメチル水銀に変換されます。このようにし てできたメチル水銀は、プランクトン→小魚→大型魚類といった水生生物の食物連鎖によって濃縮され、特にマグロ、カジキ、サメなどの大型魚類、キンメダイ などの深海魚、ハクジラ類などに比較的高濃度に蓄積されてゆきます。ヒトは、これらの魚介類を食べることで有害なメチル水銀を体内に摂取することから、健康への影響が心配されます。

水銀の有害性
 水銀の毒性はその化学形態に大きく依存しています。自然界に存在する水銀化合物のうち無機水銀は消化管(小腸)からほとんど吸収されませんが、メチル水 銀は容易に吸収されます。体内に取りこまれたメチル水銀は妊婦の胎盤を通じてお腹の胎児に移行し、さらには血液−脳関門をも通過して脳に到達してしまいま す。メチル水銀は神経系に作用し、高濃度に暴露するとヒトに神経障害や発達障害を引き起こします。胎児の発育中の脳はメチル水銀に対する感受性が高いた め、比較的低濃度の暴露であってもその影響が懸念されています。そのため、妊娠中のお母さんは過剰なメチル水銀を摂取しないように気を付けた方がよいと言 えます。一方、胎児期を過ぎた子どもや大人では、すでに影響を受けやすい時期を過ぎているので、極端に偏った食事内容でないかぎりそれほど心配する必要は ありません。

魚介類の水銀濃度
 水俣病の原因がメチル水銀で高濃度に汚染された魚介類の摂取によることが明らかにされて以来、わが国では魚介類中の水銀濃度の調査が精力的に行われてき ました。魚の可食部(魚肉)の水銀濃度は食物連鎖の上位になるほど増加し、また魚の成長(魚体サイズの増大)と共に体内の水銀濃度も増加していく傾向があ ります。なお、魚介類中の総水銀の75〜100%はメチル水銀と考えられています。比較的メチル水銀濃度(平均値、ppm)が高い魚介類の例を挙げるとキ ンメダイ(0.54)、クロマグロ(0.53)、メバチマグロ(0.54)、ミナミマグロ(0.39)メカジキ(0.71)、コビレゴンドウ (1.49)、ツチクジラ(0.70)、バンドウイルカ(6.62)、マッコウクジラ(0.70)、イシイルカ(0.37ppm)、エッチュウバイガイ (0.49)などとなっています(2010年5
月、厚生労働省公表)。
 北海道は豊かな水産資源に恵まれており、新鮮な魚介類が容易に手に入ります。それを反映して、北海道民の魚介類の摂取量は全国平均を大きく上回ってお り、また、肉類に比べて魚介類の摂取量が多いことも特徴的です。道立衛生研究所では、道産食品の安全性確保の一環として、北海道近海で獲れた魚介類の水銀 濃度の調査を1976年から毎年継続して行っています。2007年からは、近年消費量が増えている水産加工食品についても調査を行っています。これまで、 アンコウ、タラ、メヌケといった一部の深海性魚類に比較的高い濃度を示した例があるものの、総じて水銀濃度は低いレベルで推移しており、安全性に問題はな いものと思われます。

魚介類からの水銀摂取のリスク評価
 水俣病の発生を契機としてわが国では1973年7月に安全性の目安として魚介類中の水銀の暫定的規制値(総水銀濃度0.4ppm、メチル水銀 0.3ppm)が設けられました。その後、国内外で行われたメチル水銀摂取のリスク評価に関する研究結果を踏まえて、2003年6月、厚生労働省は、魚介 類を食べることにより摂取される微量のメチル水銀が胎児に影響を与える可能性があるとして、妊娠している女性を対象に魚介類の摂取についての「注意事項」 を公表しました。さらに、2005年及び2010年に「注意事項」の見直しがなされた結果、注意の必要な魚種としてマグロ類などが追加され、全部で16種 類の魚種について、妊婦が1週間に食べてもよい量と回数の目安が示されました(表1)。その算定の基となったのは次の研究結果です。〔1〕メチル水銀の毒 性の再評価が実施され、妊婦にとってどの程度までのメチル水銀摂取ならば発育途上の胎児に安全であるかを示す摂取レベル(耐容量)が定められた。〔2〕日 本人の水銀一日摂取量のうち魚介類からの摂取が80%程度であり、そのうち「注意すべき魚介類」からの摂取が半分程度である。注意対象となった16種類の 魚介類の中にはクジラ(3種)、イルカ(2種)、サメ(1種)など、普段一般的な日本人の口にはあまり入ってこないようなものも多く含まれています。


 今回の「注意事項」の対象は妊婦に限定されたもので、子どもや一般の大人に対しては、現段階では通常の摂取量で悪影響が懸念される状況ではないことから、対象とはしないこととされています。
  注意対象の魚介類以外の一般の魚についてはどうでしょう。1回に食べる量を80gとして食べてもよい回数を計算してみると、比較的水銀濃度が高いマグロ類 (キハダ、ビンナガ)、カツオ、ブリなどでは週に1〜2回ですが、それ以外の魚や貝類、エビ、イカ、タコなどの水産物では回数を考えなくてよさそうです。
  魚介類の摂取はヒトの健康に有益であり、特に、健やかな妊娠・出産及び胎児の成長のために必要なものです。この「注意事項」を気にするあまり魚介類摂取の 減少につながらないように、注意対象魚と一般の魚介類をバランスよく組み合わせて、適量を食べるようにしたいものです。

プロフィール:たかはし・てつお。1984年北海道大学大学院薬学研究科博士課程修了(薬学博士)。同年4月より道立衛生研究所に勤務。医薬品、食品衛生、環境衛生など理化学部門の試験研究に従事。2005年4月より現職。
 
 

この記事は、2010年7月16日に「しゃりばり」ウェブページに掲載されたものです。