生物科学部衛生動物科長 高橋健一

                                             
 自然環境に恵まれた北海道には多くの野生動物が生息し、この地を訪れる観光客にとっても魅力のひとつである。しかし、野生動物はヒトの病気の原因となることもある。道内の土産物店に行くと、キツネをデザインした品物が所狭しと並んでいる。また、観光地では餌をねだるキツネの姿を見かけることもある。けれども、北海道ではこのキツネが原因となる寄生虫病に半世紀以上悩まされてきたのである。

エキノコックス症という病気
 エキノコックス症とはエキノコックスという名前の寄生虫による病気である。世界に4種類知られているが、北海道で問題となっている多包条虫という種類は北半球に分布し、親虫は体長が3〜4oでキツネやイヌの腸に寄生している。親虫が産み出す卵は、動物の糞とともに排出される。この卵は直径0.03mmときわめて小さなもので、感染性を保って野外に分布する。通常は、この卵が野ネズミの口から体内に入り、肝臓などで幼虫に発育し、そのままとどまっている。そして、幼虫を宿した野ネズミをキツネが食べると、キツネの腸で親虫になる。このように、自然界では、エキノコックスはキツネと野ネズミの間で受け渡されながら生活している。ヒトがエキノコックス症にかかるのは、親虫を宿すキツネやイヌの糞とともに排出された卵が、何らかの機会にヒトの口に入り、肝臓などに幼虫が寄生することによる。感染してから症状が出るまでに数年から10数年かかり、治療のためには手術を受けなければならず、やっかいな病気である。

 北海道の北端にある礼文島では、大正時代に野ネズミ退治と毛皮を得るために中部千島から12つがいのキツネを導入した。しかし、不幸にしてそれらの中にエキノコックスを宿したものがいて、キツネだけではなく寄生虫も移入されてしまったのである。エキノコックスは島内のキツネと野ネズミの中に定着し、昭和12年頃から島内出身者や島内の住民に患者が発生し始めた。しかし、密猟などにより島内のキツネは絶滅し、また、島民もイヌの飼育を止めるなどの努力の結果、島での病気の流行は収まった。ところが、昭和40年以降、道東の根室・釧路地方で新たな流行が起こり、更に、流行地域は全道に拡大した。これまでに北海道内で400名を超える患者が確認されている。この間、衛生研究所では昭和25年以来、本症の防圧のための調査研究に取り組んできた。

予防のために
 ヒトがエキノコックス症にかかるのは、卵が口から入ったときである。誤って卵が口に入る機会を無くすためには、ヒトへの感染源となる動物への対応が重要である。
(1)餌付けなどキツネを身近に引き寄せる行為はしない。また、畜産廃棄物や生ゴミなどの管理が悪いとキツネの格好の餌となり、知らないうちにキツネを生活環境に寄せ付けることになる。
(2)イヌもエキノコックスが寄生している野ネズミを食べると感染し、ヒトへの感染源になる。イヌの放し飼いは絶対に止め、散歩の時もイヌを放さないことである。

 その他、沢水など管理されていない水にキツネやイヌの糞が混入すると、卵が含まれている可能性がある。飲用を避け、必要な場合には煮沸するのがよい。また、エキノコックスに感染したキツネがいると、その周囲の土壌や植物が卵で汚染される可能性がある。野外活動のあとには手を洗い、山菜などもよく洗って、熱を加えてから食べるとよい。これらは、日常生活のなかでこの病気にかからないための予防策である。

 近年、野生のキツネに駆虫薬(虫下し)を飲ませて、ヒトへの感染の機会を減らす試みが国内外で行われている。ドイツで最初に試された方法で、キツネ用の餌の中に粉末の駆虫薬を混ぜて野外に散布したところ、試験地域のキツネの感染率が試験前には60%を超えていたのが、20%以下にまで低下した。一方で、散布を止めると1年半でもとの感染率に戻ってしまった。駆虫薬を使うとキツネに感染している虫を殺すことはできるのだが、再びエキノコックスに感染した野ネズミを食べると再感染してしまう。1度免疫すると効果が持続するワクチンのような継続的効果を上げることは難しい。しかし、散布を継続し動物間での流行を低く維持することができれば、ヒトへの感染の危険性を減らすことには役立つと考えられる。

 衛生研究所では1999年から道東の根室半島でキツネに対する駆虫薬を用いた対策法の検討を行っている。ドイツから研究者を招き、北海道での対策に活用できるか分析を行っている。この地域では、1965年以来60名を超える患者が発生し、キツネの感染率も50%を超えており、1980年代からキツネや野ネズミの生態調査や動物間での流行の仕組みについて解析を行ってきた。1999年の試験開始以来3年半を経過し、キツネの感染率に低下傾向が見られている。野生動物相手の仕事のため一朝一夕には結論は出せないが、このような方策がどのような場面でヒトへの感染予防に役立てられるか、今後、更に検討を続ける予定である。

おわりに
 ここ数ヶ月、突発的なSARS(重症急性呼吸器症候群)の発生と流行拡大が連日報じられている。そして、その発生源が野生動物である可能性が指摘されている。アフリカで問題となっているエボラ出血熱も、本来野生動物が持っていたウイルスにヒトが感染し流行が起こったと考えられている。このように、エキノコックスに限らず、野生動物には時としてヒトの健康にとって危険な側面があるということをわれわれは十分認識すべきである。そして、餌付けなど過度な野生動物との接触行為がいかに危険であるか、また、野生動物と共存する上での適切な行動についてそれぞれの立場で考えられるよう理解を深めるべきである。そのような理解と工夫のなかから、ヒトと野生動物の本当の意味での共存が生まれるのではないだろうか。なお、当科ではヒトの健康に関わるさまざまな動物の分類や生態、防除に関する調査研究や試験検査を行っている。最近は、異物として食品に混入したり、住環境に発生した昆虫やダニなどの検査依頼が増加している。

ヒトから餌をもらうキツネ


高橋健一(たかはし けんいち)
1953年生まれ。札幌市出身。1977年北海道大学農学部応用動物学教室卒業。1979年北海道大学大学院農学研究科修士課程修了。1979年北海道立衛生研究所衛生動物科勤務。現在、生物科学部衛生動物科長。

この記事は「しゃりばり」No.257(2003年7月)に掲載されたものです。